福岡高等裁判所 昭和49年(う)145号 判決 1975年10月16日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官谷口好雄提出の控訴趣意書(検察官小繩快郎作成名義)記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人吉野高幸及び同前野宗俊提出の答弁書(両弁護人連名のもの)のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
同控訴趣意(事実誤認)について。
一 所論の要旨は次のとおりである。
本件公訴事実は、「被告人は、昭和四三年八月二日午前六時三〇分頃、北九州市小倉区大字○○○○×××の×K1方精米所内において、同人の長女K(当時六歳)に対し、同女が一三歳に満たない少女であることを知りながら、強いて自己の陰茎を口にくわえさせたり、手でもませたりし、もって強制わいせつの行為をなしたものである。」というにあるところ、原判決は、右Kが公訴事実記載の如き被害を受けた事実及び被告人が公訴事実記載の日時に右K1方精米所に立寄り、その際同所に右Kが居合せた事実についていずれもこれを肯認できるとしながら、本件犯行が、その際被告人によって犯されたものであるか否かにつき、被告人の犯行たることを明言する証人Kの供述部分には矛盾ないし疑問があって、十分な信頼を措くことができないとしてその信憑性を否定し、さらにその他の証拠や間接事実も被告人の犯行であるとするに足りないとしたうえ、結局、「疑わしきは被告人の有利に」の原則に従うべきものとして、被告人に対し無罪を言渡した。
しかしながら、(一)Kの犯行日時及び犯人の特定に関する供述は十分措信できるものであり、(二)右供述中の矛盾ないし疑問として原判決が指摘する諸点は、これを仔細に検討してみるといずれも矛盾とも疑問ともいえないものであって、少くとも犯人の特定に関する核心的部分の信憑性を阻害するものではなく、(三)本件犯行が被告人によって犯されたものであることを窺わせ且つKの供述を補強するに足る多くの情況証拠ないし間接事実も存在するのであって、原判決は証拠の評価又は取捨選択を誤り事実を誤認したものである。すなわち、
(一) Kの犯行日時及び犯人の特定に関する供述のうち、まず犯行の日時に関し、本件犯行はKが朝父K1に言われて精米所の戸を開けてあげた際の出来事であるところ、右Kは昭和四三年夏に精米所の戸を開けたことは一回しかない旨供述し、≪証拠省略≫によれば、Kが精米所の戸を開けたのは八月二日の朝に限られていて、とりわけ翌八月三日の朝には開けていないことが明らかである。従って、原判決の指摘せる如くKが八月二日朝の体験と他日の被害体験の記憶とを混同することはありえないことである。もっとも、Kは八月三日夕方母K2に対して、本件被害の状況を説明した際に、当初それはけさのことであった旨供述したのであるが、K2から指摘されるやすぐきのうの朝であったと訂正しているのであり、かかる思いちがいは成人においてすら多く見られることであるから重視すべきことではない。次に、右Kは八月三日夕方両親に対して、被告人が本件の犯人である旨供述して以来、捜査、公判の段階を通じ一貫してこれを維持しているものであって、≪証拠省略≫に照しても、右供述部分が両親らの不当な暗示ないし誘導的質問によるものでないことは明らかである(加うるにKは、原審において、二回に亘り多数の成人男子の中から被告人を選別し、本件の犯人である旨供述しているのである。)
(二) 八月二日朝の客観的状況とKの供述する本件犯行前後の状況との間には、原判決の指摘するような矛盾ないし疑問は存しない。
(1) 原判決は、被告人が当時着用していたズボンの前部分はボタンであったのに、Kの供述によれば本件犯人のズボンの前部分はチャックであったというのであるから、その間に矛盾があるというのであるが、本件犯人はKに対し、横向き又は後向きで陰茎をとり出した状況であって、同女は犯人の着用せるズボンの前部分がチャックであったかボタンであったか判然と認識できなかったものである。Kは捜査段階においてもその旨供述していたのであって、原審公判段階で、犯人のズボンの前部分はチャックでありキラキラしていた旨供述するに至ったのは、弁護人から不当な誘導質問を受けたためである。従って、この供述を重視し矛盾があるかの如く断定することは相当でない。
(2) 原判決は、犯人が犯行現場を立去るときの状況に関して、原審証人Uの供述によれば被告人は普通よりゆっくりした歩き方で戻ってきて車に乗ったことが認められるところ、Kの供述によると、本件犯人はK1の足音を聞いてKに口止めしながら車の方に急いで行き、これに乗って逃げたというのであるからその間に矛盾があるというのである。しかし、右Uは被告人が精米所を離れてその反対側に来たのちの歩行状況を目撃したものであり、他面、Kは主として被告人が精米所を離れる際の状況を目撃し、これを児童にふさわしい表現で供述したものである。従って、実質的な矛盾は存しない。
(3) 原判決は、精米所の前に止まっていた被告人の自動車の後部座席にはUがいたにも拘らず、Kはこれを目撃しておらず、かえって犯人の車内に同乗者はいなかった旨供述していると指摘するのであるが、Kの供述は要するに犯人の車内に同乗者がいたかどうかわからないというにすぎないものであって、異常な体験の直後におけるKの心理状態、自動車のガラスに当る光線の具合及び同女の背が低いこと等を考慮すれば、同乗者がいてもKにおいてこれを認識できなかったのであり、疑問とするに当らない。
(4) 原判決は、被告人の自動車の色は白色であるところ、Kの目撃した犯人の自動車は水色ないし群青色のうすい色であったとして、その間の不一致を指摘するのであるが、≪証拠省略≫によれば、Kは当初K2に対して犯人の車の色は父の車の色と同じようであった旨説明していたものであり、K2がそれなら水色のうすいような色であると言いかえたため、以後水色のうすい色と供述するようになったものであることが認められ、他面、≪証拠省略≫によれば、被告人の車の色はにごったような白色であると認められるから、Kが児童であり、しかも異常な体験の直後に犯人の車を瞥見したにすぎないこと等を考慮すると、むしろKの供述せる犯人の車の色は被告人の車の色に酷似しているものであったというべきであって、何ら矛盾ないし疑問をいだかせるものではない。
以上、(1)ないし(4)に明らかなように、原判決の疑問とする諸点はKの供述の信憑性を否定するに足るものではない。
(三) のみならず、被告人が本件の犯人であることを窺わせる情況証拠ないし間接事実として、次の(1)ないし(4)の事実が存する。すなわち
(1) Uの検察官に対する供述調書によれば、被告人は精米所から戻ってきたのち自動車の方向とは反対の方を向いて立小便をしているような恰好をしていたことが認められるのであって、右は被告人が本件犯行を終えて外したズボンの前ボタンをはめていたことを推認させる事実である。これに対し原判決は、右供述調書は捜査官の誘導的質問に迎合し真実に反してなされたものである疑いがあって、その原審における証言に照らし信憑性がないというのであるが、捜査官が右の点につき誘導的質問をなす必要ないし又なした事実もなく、右供述調書は十分措信できるものであり、むしろ被告人と親交のあるUの原審公判段階の供述こそ信憑性に欠けるのである。
(2) ≪証拠省略≫によれば、Kは八月二日朝被告人が精米所を出た直後炊事場に行ってうがいをしていた事実が認められるところ、右はKがその直前に被告人から本件被害を受け、口中に不快、嫌悪を感じたためであると推認され、K自身もその旨供述しているのである。これにつき原判決は、朝のうがいは日常的なもので本件犯行と結びつく特徴的な行為とはいえない旨判示するのであるが、しかし、Kは右八月二日の朝、歯をみがかないでうがいのみをしていたのであって、かかる行動は日常的なものとはいえず、特異にして本件犯行を裏付けるものの一つというべきである。
(3) ≪証拠省略≫によれば、被告人は八月二日の夕方精米された米袋を受け取りに来た際、応待に出たK2に対し、「朝、弟が持ってきたのはこれか。」などと言っていたが、右は虚言と認められるところ、被告人は本件犯行の発覚をおそれ、すでにK2らに発覚しているかどうかをさぐる目的でかかる虚言に及んだものと推認される。尤も、原判決も指摘するように、右の如き虚言はK2らが被告人の弟らに確かめればすぐに露見するものであるけれども、不安な心理状態にあった被告人が、とっさにその犯行を免れようと考えて発したものと解すれば、必ずしも不自然でなく、十分了解できるものである。
(4) ≪証拠省略≫によれば、被告人は八月三日の夕方に被告人方を訪れたKからすぐに来てくれと同行を求められた際、その理由を尋ねることなく、素直にこれに応じていることが認められ、さらに同人方で本件犯行を否認したのち、この事件については今後直接被告人に連絡してもらいたい旨申し述べている事実が認められる。これらの事実は自己の犯行が家人に対して暴露されることをおそれたための行動とみるべきであって、被告人が犯人であることを推認させるものである。
なお、≪証拠省略≫によれば、被告人は精米所内に数分間とどまっていたものと認められるところ、これに対し被告人は、ゆるめた米袋の藁繩を、精米機の横でしめなおしていたために、若干手間どったものであると弁解し、原判決は右弁解を慢然措信しているのであるが、他にそのような事情があったことを窺せるに足る証拠はないので、たやすく措信すべきものではない。
また、原判決は、鑑定人村田豊久作成の鑑定書に基いて被告人には異常な性的傾向が認められず、本件の如き特異な状況下でなされた特異な犯行との親和性がほとんど存在しない旨判示して、本件犯行が被告人によるものであるとすることに対し、これを疑わせる付随的事由となしている。しかし、本件の如き性犯罪の大部分は、本件と同様の状況下で、一般通常の性的傾向を有する者によって敢行されているのであり、≪証拠省略≫によって窺われる被告人の性生活等を併せ考えると、被告人と本件犯行との間に親和性がないとはいえないのであって、右判示は経験則に反するものである。
以上、(一)ないし(三)のとおり本件公訴事実を認めうるに十分な証拠が存在するのに、原判決はその評価を誤り、又は経験則に反した証拠の取捨選択をなした結果、事実を誤認したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものである。
二 しかしながら、本件記録を精査し、原審取調の証拠のほか当審における事実取調の結果を加えて検討してみても、所論の如き事実誤認は発見しがたく、「疑わしきは被告人に有利に」の原則に従い、被告人に対し無罪を言渡した原判決は、これを維持するのが相当と認められる。すなわち、
本件は、当時六歳(昭和三六年一二月六日生)の少女であったKを被害者とする強制わいせつ事件であって、同女は公訴事実記載の日時に米袋を搬入して精米所に入った被告人から公訴事実記載の如き被害を受けた旨供述しているのであるが、被告人はKの父K1らから嫌疑を受けて問詰された時点以降捜査公判の段階を通じて終始犯行を否認し、被告人が公訴事実記載の日時に精米所に立寄った際、Kと出会った事実はあるがわいせつ行為に及んだことはない旨供述するのみであって、他に直接の目撃者は全く存しないのである。従って、Kの右供述が十分措信できるものであるか否か、又は他に犯行と被告人を結びつけるに足り又はKの右供述を補強するに足る間接事実が存するか否かを検討すべきである。
(一) そこで、先ずKの供述について、これが信憑性を検討するに、同女は原審において、公訴事実記載の如き被害を受けたこと及びその犯人は被告人であることにつき具体的かつ明確な供述をなし、さらに、右被害前後の状況と公訴事実記載の日時に被告人が精米所に立寄った際の客観的状況とが多くの点において酷似していることは所論指摘のとおりである。しかしながら、同女は右被害当時わずか六歳(原審における供述当時七歳及び一〇歳)の児童であり、かかる年令の児童のしかも性犯罪の被害に関する供述を検討するに当っては、その知覚、記憶、判断、表現等の諸能力が未発達であることのほか、暗示にかかり易い反面に固執性が強いこと、幻想、作話あるいはこれらと現実と混同する傾向(とくに、想像的表象を知覚したものの如く再現する傾向)も否定し難く、とりわけ近親者の承諾を求めてこれに迎合するなどの一般的傾向を有するので、これらの特性を十分に考慮する必要があることはいうまでもない。尤も、右はあくまで一般的な傾向であって、特定の具体的な場合においては却ってその供述が純粋性を保有し、信憑性を肯定すべき場合も少なくないので、右の如き一般的傾向のみを以て具体的供述の信憑性を否定するが如きことは許されないところである。従って、本件Kの供述の信憑性の判断に当っても、これらの事情を十分考え慎重に対処すべきものであるのみならず、右公判段階の証言はすでに相当の年月が経過したのちになされたものであって、それがいかに具体的であり明確であったとしてもそのことのみを以て十分措信できるものと断ずることはできないものであり、むしろ、かかる供述がいかにして成立したか、つまりKは当初、いかなる時点に、いかなる状況の下で本件被害を供述したものであるかの供述の初期条件を仔細に吟味する必要があり、またその内容とりわけ被害の日時や犯人の特定はいかなる形でなされたものであるか、を明らかにし、その精確性を検討することが重要であると思われる。
そこで、かかる観点の下に、関係証拠とりわけKに対する裁判所の尋問調書(三通)、原審公判調書中の証人K2、同K1及び被告人の各供述記載部分に現われる諸点を総合すると、
(イ) 昭和四三年八月三日午後七時頃、母のK2は自宅において風呂上りのKがパンツをはきながらおならをしたことから、「おならをして畳がよごれやせんね。」などと冗談を言ったところ、同女も笑いながら「いいこと教えてやろうか。」と言い出して、母子の間に、「エッチなことやけん言わん。恥しいけ言わん。」、「どうして言わないの。」、「おじちゃんに言ってはいけんと言われているから言わん。」、「どこのおじちゃんかね。」、「知らんおじちゃん。」、「知らんおじちゃんの言うことはきいて、お母さんの言いなさいということはきかれないの。もう言わんでもいいよ。」などの会話が続けられ、そのうちKが自己の陰部を押えながら、「ここのことよ。」「ちんちんをさわったんよ。」などと答えたため、これに驚いてK2が追及した結果、Kは、面識のない男からその陰茎を口にくわえさせられたり、手でもまされたりしたという趣旨の告白をなしたものであること、(ロ)母K2がその日時について尋ねたのに対し、Kは、けさのことである旨答えたので、「けさはそんなおじちゃん来ていないじゃないか。」などと聞きかえしたところ、さらに同女が「けさ私が起きて戸を開けてやったときに来たおじちゃん。」と説明したのであるが、その際K2においては、けさ(八月三日朝)Kが戸を開けたという記憶がなく、八月二日朝にそのようなことをしたという記憶があったために、「それなら、けさでなくきのうの朝だったよ。」と示唆し、これに対しKも一寸考える様子を示したのち、「ああ、そう。きのうの朝やったね。」と納得したように答えたこと、(ハ)右の出来事に驚いたK2は、善後策を相談すべく、夫K1の出先に架電して帰宅を促し、戻ってきた同人に事の顛末を説明し、K1においても非常に驚き、改めてKに対し真偽の程を確めたところ、同女は「本当」と答えて、精米所内で受けた被害の状況を具体的に説明したのであるが、被害の日時については、再びその日の朝の出来事である旨答え、これに対し横にいたK2が「けさかね。けさやなかろうがね。」と聞き直したため、「ああ、そうやった。きのう。きのう。」と訂正したものであること、(ニ)父K1は、右Kの説明に合致するきのう(八月二日)の朝精米所に来て、同女が戸を開けてやった男の人として被告人を想起したため、同女にその人相、服装等を問い質し、その結果は明確ではなかったものの、被告人のそれと矛盾する点もないと考えたので、妻K2と相談の上事情を確めに被告人方に赴くこととしたが、被告人を連れてきてKと面接させる腹積りもあって、同女に対し、「今からおじちゃんを迎えに行ってくるがええかね。嘘を言ったらつまらんぞ。」などと何度も念を押したうえで出掛けたこと、(ホ)右K1は、被告人方において「昨日の朝米を持って来たのは誰か。」と尋ねたところ、被告人から「俺だ。」との返答をえたため、「それならKがいたずらされたと言っているが。」などと詰問し、被告人が「そんな馬鹿なことはせんぞ。」と言いながらも同行に応じたので、同日午後八時頃被告人を自宅に連れてきて、Kと面接させたが、「いたずらしたおじちゃんはこの人かね。」と質問したのに対し、同女がうなずいてこれを肯定する態度を示したことから、K1夫妻は被告人の犯行を確信して八月五日本件告訴に及んだものであること、以上(イ)ないし(ホ)の事実が認められ、当審における事実取調の結果はこれを左右するに足りない。
右の関係事実によれば、(1)Kの原審における供述中同女が公訴事実記載の如き強制わいせつの被害を受けたものである旨の部分については、被害の内容が極めて特異であり、同女の年令、生活環境等を考慮すると少くともその核心的部分が幻想ないし作話に基くものとは認め難く、特に該供述部分の成立の過程には暗示ないし誘導的質問がなく、体験事実の自発的な記憶の再生と認められることに徴し、これを措信するのが相当であり、日時と場所及び犯人の特定部分を除き、少くとも同女が強制わいせつの被害を受けた事実は肯認すべきである。(2)しかし、Kの右供述中少なくとも右被害(犯行)の日時及び犯人の特定に関する部分に対しては、両親らの暗示ないし誘導的質問が大きく影響していることは否定できないところであって、特段の補強証拠もなくたやすくこれを措信することは躊躇しなければならない。
まず、その被害(犯行)の日時について、Kは当初、二回に亘りそれがけさ(八月三日朝)の出来事である旨供述しているところ(なお、同女の原審証言中にも、被害を受けたその日の夕方に母に告白した旨の部分が存するのである。)、K2がこれをその都度訂正してきのうの朝(八月二日朝)であった旨示唆したため、Kもこれに従ったものである。同女のかかる自発性を抑圧せる供述態度に照らせばこれを所論の如く単なる思いちがいとして軽視することは相当でなく、同女が「きのう」、「けさ」等の言葉を正しく理解して使用したものかどうかすら疑わしいのであって、本件犯行が八月二日になされた旨のKの証言に十分の信頼を措くことは相当でない。
所論は、Kが朝父にいわれて戸を開けたのは八月二日のみであってその際に同女は被害を受けたものであるというのであるが、関係証拠によれば、Kが朝起きて戸を開けたことは時期を昭和四三年夏休みの期間に限定しても、何回かあったと認められ、父に言われて開けたことも八月二日以外に全くなかったとは認め難いので、所論は前提を欠くものである(なお、関係証拠を微細に吟味するとき、Kが八月三日夕方当初から本件は父にいわれて戸を開けた朝の出来事である旨説明していたかどうかには微妙な疑問が存し他面、同女は原審において本件は外から「戸を開けて」という声がして、次に父が「開けてあげなさい」と言ったために、同女が戸を開けた朝の出来事である旨説明しているのであって、八月二日朝被告人が外から開けてなどと声をかけた事実はないのであるから、右Kの証言を正しいものとする限り、本件犯行日時は八月二日以外ということにもなる訳である。)。
次に、犯人の特定について、Kは父K1から、あらかじめ「今からおじちゃんを迎えに行ってくるがええかね。」などと念を押され、被告人と面接させられるや「いたずらしたおじちゃんはこの人かね。」と質問されて、これを肯定したものである。
かかる状況下での暗示ないし誘導質問が、同女をしてたまたま前日の朝出会ったばかりの被告人の中に、思わず本件の犯人像を見出してしまったおそれは必ずしも否定できず、他面、予想外に興奮した両親から追及的質問を受け、Kにおいてはこれをおそれはばかる気持から迎合的態度をとってしまった疑いもないとはいえないのであって、その当初における犯人特定の供述過程には疑問が残り、たやすく信頼を措くことはできない状況にあることは否定できない。(右の如く、最初の特定過程において真実離反の疑問が存する以上、Kがその後二回に亘りいわゆる選択面通しの方法で多数の成人男子の中から被告人を犯人として特定しえたとしても、これを理由に同女の犯人特定に関する供述部分を信憑性の高いものとすることはできない。)。
所論は、Kは知能が優れていて、うそを言わないように厳しい躾を受けており、又、素直で間違ったことはこれを率直に訂正する性格の持主であるから、その供述は十分措信するに足るというのであるが、しかし暗示にかかり易く固執性が強い傾向が顕著であるなどの児童の供述の特性は健全な家庭の通常の児童においても現われるのであり、右の所論指摘の如き性格であれば両親の意向に迎合し易い傾向を有することも否定しがたく、関係証拠に徴してもKのみがその例外と認めることはできない。のみならず、すでに説示したとおり、本件においてKの供述に全面的な信頼を措きえない主たる理由は、その供述のなされた状況又は初期条件に照らし、同女がうそとはっきり意識しないまま又は間違ったとか悪いとかの判断をなしえないままに、真実と異る供述をなしているおそれがあると認められるためであって、同女がことさら虚偽の供述をなしているものと認められるためではないのである。
次に、所論は、原判決の指摘せるKの供述中の矛盾ないし疑問点に関して、これらはいずれも重視するに足りないというのである。そこで、関係証拠を検討するに、
(1) 本件犯人の着用せるズボンの前部分がボタンであったかチャックであったかに関し、これをチャックであったとするKの原審の証言がその当初において弁護人の強い誘導質問に基くものであることは否定しがたく、以後これを前提とする証言が当意即答的になされたものであることは関係証拠上明らかである。右証言の経緯及び犯人とKとの身体の位置関係等を考慮すると、Kが真に犯人のズボンに注視し、そのチャックの上げ下げを目撃したものかどうかには疑問がない訳ではないから、Kの原審証言を重視し、被告人の着用せるズボンの前部分がボタンであったこととの間に矛盾があるものとした原判決の判示部分が相当といえないことは所論のとおりである。
(2) 精米所からの立ち去り状況、とりわけその歩行速度について、Kの犯人に関する供述とUの被告人に関する供述との間にくいちがいが存する旨の原判決の指摘は、誤りではないにせよ重視すべき矛盾とするには足りないものである。
(3) また、犯人の自動車に同乗者がいたか否かに関するKの供述部分が必ずしも同乗者の存在を否定する趣旨のものではなく、同女にとって同乗者の有無を確認できなかったとしても不自然とはいえないのであるから、この点をもって重要な疑問となすべきではないことは所論のとおりである。
(4) さらに、犯人の自動車の色が何色であったかに関するKの供述はK2の供述等によっても当初から相当にあいまいなものであったと認められるのであり、むしろそれが当然というべきであって、Kの原審の証言の結論部分のみを重視して、水色と白色とを対比させ、矛盾があるものと断ずることは相当でない。
これを要するに、以上(1)ないし(4)のとおり、原判決が指摘せるKの供述中の矛盾ないし疑問は、個別的に検討し且つ児童の供述の特性を念頭に置いて評価する限り、必ずしも重視すべきものとはいえないのであって、この点に関し所論は一応首肯できるものである。しかし、そうであるからといってKの供述の信憑性がこれにより高められるものでないことはいうまでもないところであって、同女の供述が犯人の特定等に関する核心的部分につき十全の信頼を措くことができないものであることはすでに説示したとおりである。(なお、所論は、右(4)の車の色に関しKの目撃せる犯人の車の色と被告人の車の色とは酷似しているのであって、Kの供述の信憑性は高いものであるというのであるが、Kが当初犯人の車は父の車と同じ様な色であったと供述したものである旨の原審証人K2の供述部分は俄かに措信できない。仮に、右K2の供述のとおりであったとしても、Kがいかなる段階でそのような供述をなしたか明らかでなく、すでに同女において、犯人の車と被告人の車とを混同しているおそれも否定できないのであるから、所論は採用できない。)。
(二) 次に、犯行と被告人とを結びつけるに足り又はKの供述を補強するに足る間接事実が存在するか否かを検討する。
(1) まず、所論にかんがみ、被告人が精米所から出てきたのち立小便をしているような恰好をしていた事実が存するか否かを検討するに、Uの検察官に対する供述調書によれば、同人が自動車内から被告人を見た時被告人は車の方向とは反対を向いて立小便をしているような恰好をしていた旨の記載が存することは所論指摘のとおりである。しかし、同人は原審において、警察での取調の際に被告人が精米所の方に行っていた時間のことを尋ねられたため、立小便をする位の時間があったと説明したところ、立小便をするような恰好であったと言わされたものであって、検察官に対しては警察で供述したとおりに述べた旨証言しているのである。≪証拠省略≫によれば、警察官においては、被告人がすでに自白したものの如き印象を与えたうえでUを取調べたことが窺われ、当初Kの供述を裏付けるため、Uに対し被告人が逃げるように戻ってきた旨の供述等を期待していた取調警察官が、立小便をする位の時間云々の供述を契機として、立小便をする恰好をしていた旨の供述を誘導し、Uもこれに迎合して警察官及び検察官に対し、真実に反する供述を承認した疑いがないとはいえないものである。従って、Uの検察官に対する供述調書はたやすく措信できず、その信憑性には疑問をはさむ余地があるとした原判決をもって経験則に反するものということはできない。他に右の点を認めるに足る証拠は存しない(なお、仮に、被告人が精米所を出たのちに立小便をするような恰好をしたものとしても、それが立小便をしたのであれば、とくに本件犯行と結びつくものとはいえないし、被告人がこれを否定している事実も嫌疑を受けている者の心理状態として十分理解できるところであって、不自然とはいえない。のみならず、Kは本件犯人の逃走時の行動状況を精米所を出て逃げるように急ぎ足で自動車の運転席に廻り、これに乗って去った旨述べているのであって、仮に、その犯人が被告人であり、立小便のような恰好をしていたのであれば、これに気付かない筈はないのであるから、右Kの供述に徴しても、被告人が立小便のような恰好をした事実と本件犯行とを結びつけることは相当でない。)。
(2) ≪証拠省略≫によれば、八月二日朝被告人が精米所を去ったのちにKが炊事場でうがいをし、これを見たK1が「今日は何しよるかね。」などと尋ねたのに対して、「うがいしよる。」などと答えた事実が認められる。所論によれば、右は被告人の本件犯行により口中に不快、嫌悪を感じたKが、これを除去するためになしたものであって、うがいのみをすることは決して日常的なものとはいえず、本件犯行と結びつく特徴的なことであるというのである。しかし、K1の右供述によっても、Kがうがいの前に歯をみがくなどの行為をしなかったものとは断定できず、又、仮にうがいのみをしたものとしても、これを直ちに本件犯行と結びつけることは相当でない。本件犯行のために気持が悪かったのでうがいをしたのである旨のKの供述はたやすく措信できない。というのは仮に右Kの供述を真実とすれば、そのような状況下で同女が本件犯行を父K1に告げなかったのは何故か明らかでなく、かかるより大きな疑問が生ずるからである。なるほど、同女は犯人から口止めされていたというのであるが、犯人の口止めは単に言ってはいけないと言っただけのものであって、その犯人はすでにK1の足音で逃げるように車に乗って去り、Kはこれをにらみつけて見送ったというのでありしかも、父が姿を見せて、わざわざ「何しよるかね。」と声を掛けたのであるから、これに対して、「うがいしよる。」とだけ答えているのはあまりに不自然というべきである(同女が差恥心から父にこれを報告しなかったものとは認め難い。)。また、右が本件犯行直後の出来事であれば、Kの表情や態度などにも何らかの異常なものが現われていた筈であって、父K1がこれに全く気付かなかったのも不可解であって、むしろ右の問答はうがいが本件犯行とは関係なくなされたものであることを推認させるものである。
(3) 原審証人K2によれば、被告人は八月二日夕方米袋を取りにK1方に来た際、同女に対し「朝、弟が持ってきた米はこれかね。」と言っていたというのである。所論は右供述を以て被告人が犯行の発覚をおそれる気持からとっさに弟の名を出して、様子を探ろうとしたものであるというのである。しかし、(イ)かかる虚言を吐いても調べられれば露見が容易であって、その場合には被告人はかえって嫌疑を増し不利な立場になるおそれがあること、(ロ)被告人とK1とは旧知の間柄で、二日間同人と問答している被告人としては、声によってK1に覚知されているものと考えるのが通例であって、かかる虚言を発する必要性に乏しいこと、(ハ)被告人は翌三日夕方、K1から尋ねられた際、二日の朝に米を持っていったのは自分である旨即答していて、これを隠蔽する態度が全く認められないこと等に徴すると、被告人が所論の如き理由で虚言を述べたものとは認められない。そうすると、右K2において被告人の右発言を直接顔を合せて聞いたものではないことを併せ考えるとき、同女の聞きちがいないし思いちがいの可能性が強いのであって、右供述はたやすく措信できないものである。
(4) 所論によれば、被告人は八月三日夕方自宅に訪れたK1から同行を求められるや、何も理由を聞かないでこれに応じており、さらに、K1方で本件犯行につき問詰され、いったん否定して同人方を去ったのち戻ってきて、本件については家に来ないで直接連絡してもらいたい旨申出ているのであって、これらの行動からすれば被告人がその家人に本件犯行の発覚することをおそれていたことが推認されるというのである。しかし、関係証拠を総合すると、K1は被告人方を訪れ、「昨日の朝、米を持って来たのは誰か。」と声を掛け、被告人が「俺だ」と答えたことから「一寸来てくれ。」と呼び出したうえ、Kがいたずらされたと言っている旨簡単に説明して同行を求め、これに応じた被告人に対し、自動車内でさらにややくわしく事情を説明しながら詰問したものであることが認められ、所論の如く何も説明せずに同行を求めたものではない。右に見られる被告人の態度及び行動が、不自然なものであるとは到底解さない。また、当審における事実取調の結果によれば、八月三日夜被告人がいったんK1方を去ったのち同家の家人に対し、今後は家に来ないで電話で連絡してもらいたい旨の申出をなした事実が認められるが、右申出が本件犯行の家人への発覚をおそれるためのものであったと断定すべき根拠はない。関係証拠によれば、被告人は翌八月四日妻Oに対して、K1からKに対する強制わいせつ事件の犯人ではないかと疑われている旨説明しているし、同日友人のU及びDに対しても右同様の説明をして善後策を相談していることが認められるのであって、被告人が本件を家人に隠蔽せんとした形跡は見当らない。
以上(1)ないし(4)のとおりであるから、所論において間接事実として指摘するところは、いずれも証拠上これを認めることができないものであるか、又は必ずしも有力な間接事実といえないものであって、Kの供述を補強し本件犯行と被告人とを結びつけるに足るものではない。
なお、所論は、被告人が精米所内に止まっていた時間について説明するところはこれを裏付ける証拠がなくたやすく措信さるべきではないというのであるが、記録を精査しても所論指摘の被告人の供述を虚偽として排斥すべき証拠も見当らないので、所論は採用できない。
また所論は、本件の如き性犯罪の大部分は同様の状況下で一般通常の性的傾向の者によって敢行されているのであって、被告人に異常な性的傾向が見出せないからといって本件犯行との間に親和性がないものということはできないというのである。
なるほど、多くの性犯罪が一般通常の性的傾向の者によって敢行されていることは所論のとおりであるとしても、本件ではかかる通常者の行為とは考え難いものが存する。すなわち、被告人を犯人とすれば、関係証拠に明らかな如く犯行の場所といわれる精米所は住家と壁一重を隔てているにすぎず、右家屋内にはKの両親が居て、被告人は直前に話をしているのであり、精米所の表戸は開放され、二メートル足らずの至近距離の表道路には同僚の乗った自動車が待機している状況の下で、しかも早朝の出勤途次の三、四分の至短時間に、本件強制わいせつの所為に及んだことになるのであるが、原判決も指摘せる如く、被告人が異常性格者でない限り考え難い犯行であるところ、記録を精査しても、被告人の性格あるいは性生活において、かかる異常な犯行と結びつくような特異な傾向は全く認められないのである。
かくして、所論にかんがみ原判決の証拠評価を仔細に検討しても、以上の(一)及び(二)に説示したとおりであって、その証拠は十分でなく、これ以上審理を続けても現在においてはもはや有罪判決をするに足る証拠を得る見込みもないので、被告人に対し本件犯行の疑惑を残しながらも、その証明が十分でないとした原判決は相当というべきであり、論旨は理由がない。
そこで、刑事訴訟法三九六条に則り、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 平田勝雅 裁判官 吉永忠 堀内信明)